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東京高等裁判所 昭和24年(新を)343号 判決 1949年12月10日

控訴人 被告人 佐藤幸一

弁護人 千葉律之

検察官 渡辺要関与

主文

原判決を破棄する。

本件を浦和簡易裁判所に移送する。

理由

本件控訴の趣意は末尾に添付してある弁護人千葉律之作成名義控訴趣意書と題する書面記載の通りである。これに対し当裁判所は左の如く判断する。

論旨第二点について。

原判決は国家地方警察埼玉県本部刑事部鑑識課地方警察技官関根政一作成の掌紋の鑑定書を証拠に引用してあるが、この鑑定書は刑事訴訟法第三百二十一条第四項の書面であるから同法第三百二十六条による被告人の同意した場合でなければ鑑定人を公判期日に証人として尋問した上でなければ証拠とすることは出来ないものである。原審公判調書を見ると弁護人は「鑑定書は証明力を除いた他逮捕手続書前科調書云々については夫々その成立に異議なし」と述べた旨の記載があるが、これでは被告人が右鑑定書を証拠とすることに同意したと見ることができないから原審は鑑定書の作成者を証人として喚問しなければこれを証拠とすることはできないに拘らず、右喚問なくして直ちに証拠に採用したのは違法であり、この違法は判決に影響を及ぼすものであることは明かであるから原判決はこの点で破棄せらるべきであり論旨は理由がある。」

(裁判長判事 吉田常次郎 判事 保持道信 判事 鈴木勇)

控訴趣意書

控訴理由第二点

原判決にはその理由のくいちがいがある(刑事訴訟法第三七八条)原判決は証拠説明として(一)証人大野木徳応の証言(記録第五一丁乃至五六丁)(二)同大野木徳行の証言(記録第二回公判調書第七〇丁乃至第七五丁)(三)同佐藤緋佐志の証言(記録第六五丁乃至六八丁)各記載及(四)同水村定男の証言(記録第七五丁乃至第六三丁)に依り真正に成立したものと認められる被害現場の箪笥に附着してあつたと称する掌紋に付ての鑑定結果を挙げて居るが右の中前者の証言は所詮被告人を容疑者とする迄の状況に関する証拠に過ぎないもので犯行に付いては間接の証拠であつてその成否を断定すべき証拠となすに足らないことは勿論であつて犯行の直接の証拠となるものは唯一の掌紋に係つて居ることは明白であると思料する。特に証人大野木徳行の証言によれば同証人が被告人佐藤幸一を認めたと同時刻頃黒のオーバーを着て何か持つた男が寺の山門の処を西の方(被告人は東の方へ歩行したので反対の方向に行つたものである)へ行き山門を出て直ぐ右の露次に入つて行つた男を現認したとある。其の男の靴の足跡は被害者方居宅裏口より立出でたように認められ足跡は軍靴様の鋲のあるものであつて、被告人の靴の足跡とは明らかに相違して居たことを明らかにして居り、其の者こそ被害者方に侵入したる窃盗真犯人と認められるに拘らず捜査当局は其の者を全然看過し不明の儘不問に附して居る。

尚捜査の当初に於て警察官が其の者を単独の犯人か或は被告人との共犯かと疑つたことも明瞭である。それは証人水村定男の証言記載(記録第五九丁以下)及同人作成に係る緊急逮捕手続書(記録第二五丁以下)四項被疑事実の要旨の欄に「被疑者は住所氏名不詳の某と共謀の上昭和二十四年二月一日午前十一時頃入間郡所沢町大字久米四一一番地工員平塚和郎方に侵入し云々」との記載あるに依りて明白である。要するに被告人は真に偶然右の黒オーバーの男と同時刻に被害者宅裏口にて邂逅した為めに深い嫌疑を蒙つたのである。犯行の唯一の直接証拠と考えられる所の掌紋に就ては次の様な重要な疑問がある。

(一)其の掌紋が警察職員によつて採取せられたものであるとは思われるが、何時如何なる場所より如何なる状況の下に採取せられたものであるかが明白でない。

成る程右証人水村定男の証言中に「当日午後二時頃被害者方箪笥の抽斗に附着のものをわけず(筆者註分須鑑識係刑事に係る)巡査が採取したとある(記録第六〇丁以下)が警察職員以外には信憑すべき事情の下に正式に立会つた常人もない証人水村定男は平塚キンが「居合」はせたとは証言して居るが立会したと明確には申して居らない本弁護人はこの点につき先づ其の成立の公正を疑ふものである。

(二)現場検証に於ける本弁護人の所見によれば被害者方の箪笥と称するものは通常の箪笥と趣を異にし、古色滄然黯んだ重ね箱様のものであつて木質も朽廃に近い脆弱の観あるもので掌紋や指紋が明瞭に顯出する物体とは認められない。加之顯出採取個所の保存方法も講じて置かなかつたので検証の際居合せた分須巡査自身さへも顯出個所を明らかに指示することが出来なかつた事実もあり採取の状況の証言は措信し難く写真原板の木質の顯出も不明瞭である。証拠品たる右写真原板の符箋に平塚キン立会撮影の旨を記載しあるが如くであるが未だ以て採取に正式に立会した事実の証明とするに足らないものと思料する。

(三)右掌紋写真原板と後日被告人に押捺させた掌紋との対照鑑定を国家地方警察埼玉県本部刑事部鑑識課地方警察技官関根政一が鑑定して符号イ乃至ツを挙げて配線同一なりと説明して居るが、其の配線たるや甚敷纎細且不明晰であつて其の対照の方法自体に相当の懸念を抱かれるのである。

又所見の如く仮に配線が同一であるとしても右手小指下部の掌紋の一部僅か小部分の配線が両者符合したとしてもそれが万人の特異性を百パーセント決する程に決定的のものであるであろうか、本弁護人は指紋の決定的なることは常識として知つて居るが掌紋なるものについて果して然るや否や寡聞浅学にして知らない之を以て直に有罪の唯一の証拠とすることは危険千万であると思われる。因つて更に権威者に就き専門的に研究するの要あるものと痛感するに至つたのである。

因に本弁護人は最初より其の掌紋の鑑定の証明力は是認しなかつたのであるから異議ある証拠を其儘有罪の証拠に採用した原判決は此の点についても不法があると思われる。(記録第一〇丁第一回公判調書中検察官の証拠調請求に対する弁護人の意見の記載)

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